2012年02月28日

マレーシア、シンガポールの旅 その6

シンガポール

マレーシアの最南端ジョホールから海中道路を1キロほど走ると国境を越えてシンガポール
である。

瀬戸内海の対岸の島といった感じでいきなり入国手続きとなる。

ゲートで写真を撮ったら突然警官が現れて注意された。撮影禁止なのである!

マレーシアが鉱物の錫とココナツヤシが特産物で移動中見渡す限りヤシ農園だったのが、ここシンガポール

は狭い島に高層ビルが林立する大都会なのである。

マレー人は少なくほとんどが華僑による中国系で占め、国土は沖縄とさほど変わらない。

商業と貿易の国といったところか。ここでも、とてつもなく大きな商業ビルに感動する!


とりあえず市場にいってみる。ドリアンを食するためガイドに頼んで見つけてもらった。

・・・***???文字で表現するにはあまりにも不思議な味でした。



平和通りと同じ光景ですが売り子は20代のミニスカートをはいた着飾った子たちでした。



このあと天空のレストラン、 マリーナ・ベイ・サンズに向かいます。

地上52階のビルを3個つないで屋上にレストランとプールが有るのです!

屋上からの景色を紹介します。

今年花の博覧会開催予定の会場は真下に展開します。沖合いに待つタンカーの船団が見えるでしょうか?

これこそがアジアのハブ港湾なのです。







沖縄と同じ面積の島国です。マレーシアから分離独立してまだ40年そこそこの新しい国です。

沖縄は日本復帰してはや三十数年がたちますが、この国の繁栄に比べると残念ながら遅れています。

今、アジアは燃えています!沖縄ももう少し智恵をだしたいものですね~!!  


Posted by グランパ at 20:35Comments(0)旅シリーズ(外国)

2012年02月27日

マレーシア、シンガポールの旅 その5

交易時代のマラッカの港

マラッカ海峡から入り江を少し入ったところに港があったであろうと推測しますが、ガイドに聞きましたら
オランダ広場の前が昔の港の跡とのことでした。

団体ツアーですので迷惑にならない範囲で30分だけ時間をもらって大急ぎで水辺の写真を撮ってきました。

那覇の街がそうであるように、マラッカも500年の歳月の間に海岸線は埋め立てられていまして、今は河口の遊覧施設として観光用の遊覧フェリー乗り場になっていました。

入り江の対岸と河口を望んでの写真を撮りましたが、昔のハブ港としてのイメージとは程遠い光景です。

先ほど教会の近くの露天商から買った当時のスケッチ資料で昔を偲ぶしか有りませんでした。









マラッカはヨーロッパ諸国の植民地になってしまいましたが当時の賑わいと、要塞としてのマラッカに大きく変わっていきます。





シャム、マラッカを往来した500年前の先達は外国から攻められた時の小国の悲哀を日本よりいち早く情報として持ち、諸国とどう付き合っていくか知っていたものと推察いたします。  


Posted by グランパ at 19:04Comments(0)

2012年02月26日

マレーシア、シンガポールの旅 その5

琉球王朝とマラッカ国との交流

琉球国は察度年間にはすで明国と朝貢が始まり(1386年)読谷村の泰期を使者にたて馬120匹を進貢しています。1389年にはシャム国と交易も始まり積荷としてかさばる馬に代わって香木、蘇木、胡椒などに変わっていきますが、1570年代までに通算60隻にもおよぶ交易の実績が有ります。

しかし、1463年から1511年までの間はシャムとの交易は極端に減少し代わってマラッカとの交易が台頭するのです。マラッカの交易実績は20隻で琉球国のいわゆる大交易時代の2番目に実績の大きな国なのであります。

シャム国が勢力を広げアジアの政情が不安定になりつつある事にかんがみ、明国は鄭和の艦隊を送り朝貢を促します。

1405年マラッカの国王パラメスワラはタイのアユタヤ朝からの外圧を避けるために鄭和のすすめにより明国への朝貢を始めます。

その数年前に明国は琉球に閩人36姓を送り込んでいます。

したがって朝貢のため北京入りした琉球の使者達はマラッカの常連達と親しくなり、朝貢品目の蘇木がマラッカの特産品であることに着目してシャムからマラッカへ移行したものと筆者は推測いたします。

しかし、そのマラッカも1511年にポルトガルに占領されてしまいます。その後オランダに占領されやがて東インド会社の設立と時代はすすみますが、オランダはイギリスにその権利を譲ってしまいます。

琉球国はマラッカの占領直前に蘇木と胡椒の買い付けに派遣しますが、その時の通時として乗船した人が梁氏3世の梁傑である事が家譜に明記されているのです。

木の重さと同じ重さの金と交換するほど明国で重宝がられた蘇木といかなる植物なるか? また当時のマラッカの港は何処に有ったのか? 遠く琉球国から命がけで国王の勅書を持ってマラッカ国王に謁見した場所マラッカの王宮はどんな所だっただろうか?

かくしてその足跡を尋ねて我々シルバーエイトの旅は始まったのであります。

現地ガイドが案内してくれた王宮の跡地は小高い丘になっていて今は残骸だけが残る教会になっていました。




セント・ポール教会である。占領後のポルトガルが建立したもので入り口に建つ石像はかの有名なザビエルです。彼の遺体が一時安置されていた教会です。

イギリス時代に破壊され今ではポルトガル時代の砦としての砲門が残るだけです。



右端に砲門が有りますがお分かりでしょうか。

砦ですから岸壁の下は海だったはずですが今はすっかり埋め立てられて町の中のモニュメントとしてのひっそりと観光客をまっています。

かの王宮はその近くに再建され今はマラッカ文化博物館となっていますが今回は時間が無く立ち寄る事が適いませんでした。



つづく
  


Posted by グランパ at 18:20Comments(0)旅シリーズ(外国)

2012年02月25日

マレーシア、シンガポールの旅 その4

シルバー8とCVG

クアラアルンプールからマラッカへはジーゼルの機関車の旅となりました。



学生時代は東京まで3泊4日もかかったものです。そして九州を抜けるまではジーゼルだったことに話はは

ずみ、トンネルに入るとあの特有の匂いにタイムスリップした感じです。


さて我々はほぼリタイヤ世代であり8人そろってシルバー8と名乗りますに、この旅には5

人のお嬢さんが加わりました。そこぬけに明るく、色白で県外からの参加者かと思ったのですが、県内の高

校の同窓生とのことでした。自称CVG ( Chinenn Village Girls )なんと知念高校の同窓生でした。





2時間ほどでタンピン駅に到着、現在のマラッカの土を踏みしめるのですが、500年前の先達の足跡をは

たして見出す事ができるのでしょうか。




  


Posted by グランパ at 16:28Comments(0)旅シリーズ(外国)

2012年02月23日

マレーシア、シンガポールの旅 その3

夜のクアラルンプール

この国は九つの小国の集合国家でそれぞれに国王がいて5年に一度輪番で9人の国王の互選によりマレーシアの国王が選ばれる。

国王は直接政治には関わらず日本の天皇陛下と同じような国民の象徴として尊敬されている。

当然王宮があり儀仗兵が不動の姿勢で両方のゲートの中に立っています。



この国では石油が産出する。したがってガソリンが安い、日本の約半額にちかい、よって街には

エコカーや軽自動車は見当たらない。

ガソリンが安いから多分電気代も安い。消費税も無い。

おまけに冬がなく、雨季と乾季しかなく、地震もなければ台風もない!

よってビルは限りなく天空にそびえ、夜のイルミネーションは最早芸術の域といわざるを得ない。





イギリス植民地時代に建設された建物で現在は最高裁判所として利用されています。

約10秒間隔で5色に変化します。



451.9メートルの高さを誇るペトロナス・ツインタワー

あまり高すぎて地上階がカメラに納まりませんでした。


次回はいよいよマラッカ行きです! つづく
  


Posted by グランパ at 18:20Comments(0)旅シリーズ(外国)

2012年02月22日

マレーシア、シンガポールの旅 その2

朝のクアルンプール

出発までのわずかな時間でホテルの周りを散策。

朝から屋台が出ていました。なまずのような魚をぶつ切りにして油であげています。

カメラを向けると包丁をあげてポーズを取るおねーさん! カラフルですね~!



まもなく市場に向かいました。ガーブー川が氾濫した時代の那覇の市場とそっくりです!

匂いがきついことではありますが幼い時のあの時代はこんな環境で育ったものです。 



肉市場と同じ場所にあるのも同じです。

ここはイスラムの国、したがって豚は売りません。滞在中ほとんど肉料理が出ませんでした。
マレー系はイスラムであり豚肉を食しませんし、30%弱を占めるインド人は牛を食べません。

イスラムは酒も飲みませんのでスーパーではビールも限られた店でしか販売していませんでした。





牛の頭のかわりに豚の頭をおけば那覇の肉市場そのものです。

愛嬌のいいおにーちゃんがポーズを取ったがシャターチャンスがずれてしまった!

彼が握っている鉈とまな板もそっくりおなじ、那覇の豚足売り場と重なります。
  


Posted by グランパ at 09:29Comments(0)旅シリーズ(外国)

2012年02月21日

マレーシア、シンガポールの旅

アジアの夜明けはまぶしい!

カーテンを開けると目の前には旭に輝くビルが照り返していた。

空気は湿気を含み、あくまで重く、あまずっぱい香りのなか一日が始まろうとしている。

上海に降り立った時は3度位でしょうか冬の真っ只中の旅行を思い知ったのですが、ここは赤道直下に近い国、マレー半島のクアラルンプール!

よくもまあ!ここまで来たもんだ!

事の次第はひょんなことから展開した。最初は中国の桂林に行く予定でしたが、旅の直前に沖国大の田名教授による講座”「歴代宝案」を読み解く”を受講したのがきっかけなのであります。

その資料によりますと梁氏の梁復という方が中山王(尚巴志)の勅書をもってシャム国に蘇木と胡椒の買い付けに行っているのです。

さらに系図を調べてみますと3世梁傑は1511年にマラッカに買い付けに行っているのです。

そんなことから、一度マラッカに行って先達が買い付けた蘇木がどんなものか見てみようじゃないか。

と、まあ桂林の計画を南にふってマレーシア、シンガポールの旅が始まったのであります。






つづく
  


Posted by グランパ at 22:31Comments(0)旅シリーズ(外国)

2012年02月11日

1156歳のピクニック

かりゆしし長寿大学を昨年卒業した仲間達が歴史の講師の授業が面白く、卒業後先生を慕い、
週1回の歴史同好会で琉球歴史を学ぶサークルができました。

今日はその面々がそろってのピクニックとなりました。平均年齢が68歳ぐらいでしょうか?
17人揃いましたので合計1156歳のピクニックとなりました。

八重岳の桜はすでに葉桜となりましたが頂上のレーダーサイトの広場まで上ることが出来ました。

名護湾と東シナ海に浮かぶ伊江島が遠望できますが、かすかに霞み、写真では確認できません。



連日雨に見舞われていますがその日ばかりは晴れてくれました。

次は大宜味村の大石展望台です。

旧トモゼンホテルの北側で大国林道の近くです。塩屋大橋を渡ってから山路を上り詰めたところに、急に開

けたところがあり、ここは太平洋と東シナ海が同時に眺める事ができる絶好のポイントです。



入り口の桜です。



昼食後いよいよ比地大滝への挑戦です。

コースは整備されていて新緑に満たされ森林浴のなか、渓流沿いにトレッキングのスタートとなりました。






やんばるの森の中はきれいな花がジャングルの中からひょいと顔を出すのです。

可憐な花ですが名を知りません。

途中の岩肌もキャンパスの抽象画のごとく自然が描き出す不思議な光景です。





上り下りがかなり激しく決してなまやさしいコースではないのですが、

全員無事にたどり着く事ができました。



数年前この地に50号のキャンパスを持ち込み油絵を描いたのですが、自然はそのときと

少しも変わらず、私達を迎えてくれました。



かくして1156歳のピクニックは無事終了し那覇へ戻ってまいりました。  


Posted by グランパ at 19:04Comments(0)暮らし生活