2012年06月18日

ネアンデルタール人

父の日ゆえ遠方の息子から電話がかかってきた。カミサンが出てくれたのであるが。

「今、パパ動けないの、それだけにああだこうだうるさいの!」僕ボクサー

「・・・・・・」

「ボランテティアで行ったさきで木の剪定をしたらしく1メートルぐらいの囲いから飛び降りたらしいの」

「・・・・・・」

「それと、正座した状態で両肩に全体重をかけていいから押さえつけろと言うからその通り

にしたの」

「その状態から立ち上がれるかどうか試してみるらしい?なにやら手にしている武道の本にそう書いてある

らしいの。一度目は失敗したが、二度目は成功したらしいの」

「・・・・・・」



その晩の夜中の2時ごろ寝返りを打とうとしたら左腰に激痛が走った!!!!!うわーん

1階で寝ているカミサンに窮状を伝える手段として携帯を鳴らすが、携帯は無残にもリビングで鳴ってい

る。固定電話にかけるがきずいてくれない。よが明けるのを待つしかないのでありました。

階段は尻をつけてしか降りきれず、タクシーを拾って病院へ。

お医者さん曰く、

これを機会に学習してください。けして若くないのですから。ガ-ン



今日もまだネアンデルタール人もしくわチンパンジーのように歩いています。  


Posted by グランパ at 22:39Comments(0)暮らし生活

2012年06月13日

東寿寺跡から出土した古銭

かれこれ半世紀にもなるだろうか?小生が中学3年生のころの話である。

米軍の占領から開放されて本籍である久米にもどれたのは中学生になっていた。

米軍が資材ヤードとして占拠していて戦後10年たっても戻れなかったのであります。

当時はまだ昔の地形が幾らか残っていました。その内那覇市の区画整理事業が始まり、東寿寺跡地にも

ブルトーザーがはいり整地したのですが、その削土の中から拾い集めた古銭が今から紹介するものです。

長い間引き出しにしまってあったのですが、つい先日気になってインターネットで調べてみましたら、

北宋、明、清の古い貨幣であることが判明しました。なぜこのようなかたちで出土したかは小生の知識

では理解しがたく専門家にまかしたいところです。

1・ 熙寧重寶    表 
   北宋(1068~1085)   
   神宗 (趙頊)











2・ 元祐通寶    表              
   北宋(1086~1101)
   哲宗  (趙煦)











3・ 洪武通寶    表              
   明 (1368~1398)
   洪武帝(朱元璋)












4・乾隆通寶    表              
  清 (1736~1795)
  高宗(乾隆帝)
 











5・道光通寶   表   2個            
  清 (1821~1850)
  宣宗 (道光帝)









6・ 寛永通寶   表   8個            
   江戸 












これらの古銭を6月9日那覇市博物館に寄贈してまいりました。



   
  


Posted by グランパ at 18:02Comments(0)暮らし生活

2012年06月06日

第7回移動運用 in 浜比嘉島

今回(6月3日)も雨に見舞われましたが、ピーカンより楽ですから決行いたしました。

この島は中央の丘が島を二分していて、島の北側を比嘉部落といい南側を浜部落と言います。

そんなわけで島全体を浜比嘉島と言うのです。

南側は電波の伝搬上丘の影となり好ましく有りませんので、今回は比嘉部落の漁港に車を止めてモービルか

らの運用となりました。

13時を過ぎたあたりからぼちぼちつながるようには成りましたが、QSBがひどく谷間に落ちると聞こえ

なくなる事もしばしばありましたが、なんとか目標の20局をクリアする事ができました。

スケッチのほうは5月の末日に出かけて先に仕上げてありましたので今回は無線だけです。

スケッチの時は逆に真夏のような暑さで座ってスケッチしていますとアスファルトからの照り返しがきつ

く、日焼けした自分の顔にびっくりしましたが、現在いくぶんひいています。

集落の赤瓦の家を描いたものです。台風に備え屋敷は道路より低く軒の高さと塀の高さがほぼ同じ高

さに
なっています。離島に良く見られる光景です。



次回は津堅島からの移動運用を予定しています。  


Posted by グランパ at 21:45Comments(0)アマチュア無線