2011年01月04日

堂小屋敷(どーぐゎーやしち)ーその1

せんだって沖縄のわらべ歌を学習する機会がありまして、

堂小屋敷のタンメーサイが海外での公演に一番人気であったこと、

など、など教えてもらいましたが、その歌詞の説明に

昔、久米村にドウグヮーさんというタンメー(おじいさん)がいてと説明されたのにはおもわず

ふきだしそうになってしまった。

今の世代の人たちには最早久米、とか久米村といった固有名詞が通じなくなってしまっている。

堂小屋敷とは昔久米村に護国寺の末寺で小さな寺があって、その小堂を取り囲んで分家筋の屋敷が存在した。
その屋敷群を堂小屋敷(どーぐゎーやしち)とよんだのです。

渡唐(柵封)に海難遭遇した家族や分家筋で禄高の少ない家族など生活に困窮したひとたちを居住させていた。その子孫が仕官したら他へ移転することになっていた。

しかし、廃藩置県後の禄の撤廃にあたりそのまま定着したもようである。

久米村にとっては大きな武家屋敷もこの小堂のまわりも明治にいたってすべての禄が廃止されたのであるから上へ下への大混乱がしょうじたことが想像できます。

 さて、この小堂を東壽寺といいますが、戦後久米町が区画整理されたおり今の場所に設置されました。

大戦前には6畳と8畳のふたまがあり3体の仏像が安置されトイレも有ったそうです。



次回へ続く



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Posted by グランパ at 18:50│Comments(0)暮らし生活
 
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