2008年05月15日

民族の怒りに燃える島、沖縄を返せ!

先生が褒めてましたよ、気骨が有るって!

何のことは無い,住所欄に沖縄と書いたから教授の目にとまったらしい。
当時の私は琉球政府高等弁務官発行のパスポートをたずさえて入学した留学生だった。

卒業してT社に入社して数年がたったころパスポートの期限がきれて里帰りは東京都都知事
(たしか美濃部さん)発行のパスポートが必要だった。

職場には県出身者は他に無く、この記念すべき日も残業に追われ下宿にもどったのは夜も更けて
11時を回った頃寝る前にテレビのスイッチを入れたら沖縄の本土復帰の特番が流れていた。

佐藤栄作総理、最後の琉球政府高等弁務官、それに最後の民政府知事の屋良知事が参列するはずが、
知事は県民の想いが必ずしも満足な形でないことを理由に参列されなかったと記憶している。

もう沖縄県と明記していいのだ、故郷にパスポいートがいらなのだ、何年切望してやまない日々がつづいたことか。
若いのが3人よれば仕上げの歌はこの歌に決まっていた。(歌声喫茶がはやっていたころの話です)。

歌いやすくもあり、メロディもいい、右も左も関係なく共通の一つの大きな指標があったのである。

あれから36年がたつそうな、今朝の新聞ですら見出しをさがすのに苦労した、小さく載っていました。
いつまでもトップに扱う時代は過ぎたかも知らないが、若い人達はついこの間までそういうう時代が
あったことを忘れないで欲しい。5月15日が特別の日であることを。

高層ビルが建ちモノレールが走りそこいらにホテルができ、
国際通りはその歴史を知らない世代が仲良く手をつないで闊歩する、店の顔もすっかり変わって
観光客の街になってしまった。

車が右を走り、1$あればしばらくこずかいに困らない、べとついた空気の那覇の町は
いったいどこへ行ったのでしょうか。


沖縄を返せ!グランパはひとりつぶやくのであります。





Posted by グランパ at 16:05│Comments(0)
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。