2011年10月08日

琉球弓道事始 その2

それでは何時ごろから琉球は和弓を取り入れたのでしょうか?度重なる戦国時代(三山統一)の弓はいかなる弓で戦に望んだのでしょうか?

文献(通航一覧)では中国への朝貢貿易に福州五虎門の海上で海賊にあい、弓矢で応戦したともありますが、残念ながら弓に関する具体的な記述はありません。

もっと遡りますと琉球国の歴史書ともいううべき“中山世鑑”には初代琉球国王“舜天”は源為朝の子として登場し、為朝は琉球を去るにあたって息子(舜天)に重籐の弓と中黒の矢を残していきます。

この薩摩の支配下で作り上げたであろう歴史書をまともに解釈しますと初代琉球国王“舜天”と鎌倉幕府の“源頼朝”とは従弟同士となり薩摩への敵対心をうすめる目的を持たせた事が否めません。

この歴史書によれば琉球国王“舜天”が最初に和弓を引いたことになりますが、信憑性にとぼしく大きな矛盾が生じます。

さて、それでは文献に残る最初の和式弓道を始めた人はいったい誰でしょうか? 

長い間内なる自分へ問いつづけた課題でも有りましたが、最近探り当てる事ができました。

次回へつづく


同じカテゴリー(弓道)の記事

Posted by グランパ at 09:25│Comments(0)弓道
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。