2014年07月26日

百度踏揚の愛用したかんざし

琉球の歴史の中で彼女ほど波乱万丈の人生を潜り抜けた人はいない。
国王尚泰久の王女であり絶世の美女ともなればすべては思いのままの人生が約されていたはずが、
首里城が炎上する戦国のさなかに彼女の青春ははぐくまれていったのである。

母は中城城主護佐丸の娘、つまり護佐丸は義理の祖父ということになるが、父である国王は謀反の疑いで
討伐してしまう。その時の総大将が勝連城の城主阿麻和利で彼女が嫁いだ新婚のご主人であった。
しかし、まもなくその旦那様も謀反の嫌疑で、鬼大城に征伐させてしまった。

その鬼大城に最終的には嫁に出されるが、その鬼大城も国王軍に征伐されてしまいます。

血と血で染まった戦国の世を経てやがて平定されていきますが。国王尚泰久は王妃の父を殺し、
娘婿も征伐し、再婚した婿殿も殺してしまいます。
その犠牲のなかで琉球は統一されていくのです。

琉球の最も激しかった戦国の世にむなしく散った王女百度踏揚のお墓にお参りして、土地の血縁の
方が大事に保管している百度踏揚が愛用したという鏡と金のかんざしをみせてもらいました。

百度踏揚の愛用したかんざし

百度踏揚の愛用したかんざし

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百度踏揚の愛用したかんざし

百度踏揚の愛用したかんざし

百度踏揚の愛用したかんざし

純金のようですが中は空洞になっていて見た目より軽く感じました。



Posted by グランパ at 20:47│Comments(1)
この記事へのコメント
初めまして。
沖縄県の特別支援学校で美術教師をしています与儀と申します。
ご相談があって連絡を差し上げました。
ブログ内にある「百度踏揚の簪」の画像を、私が運営するInstagramで使用させていただけませんでしょうか。
atelier_standというユーザー名で投稿しています。
何卒ご検討いただけますようよろしくお願いします。
Posted by 与儀俊介 at 2023年02月17日 01:03
 
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