2011年09月17日
東寿寺についてその5
4.東寿寺に安置されていた仏像について
古老の話と亡父の話を思い出してみるに東寿寺には木像が三体安置されていたようです。
いずれも国宝級の仏像であったが去る大戦の10月10日の空襲で焼滅してしまったとの事である。
頼慶、および護国寺(真言宗)の背景を考慮しますと中央の仏像は大日如来であったであろうと推測できますが、それでは他の左右の仏像はいかなる仏神で構成されたか不明であります。中央の坐像はほぼ等身大で左右の像は小さかったと話してくれました。
しかし、古老の話では左側の仏像は槍をもって怒っていたとの記憶を語ってくれました。真言宗の仏像の3点セットとして左に天の部、右に明王の部を配置したと考えます。天の部は槍をもった天として四天王を配置すべきですが、せまいお堂のなかなので多聞天(毘沙門天)のみを配したものと推測します。
いっぽう明王の部は亡父が不動明王の名をことあるごとに話していた記憶がありおぼろげな、記憶のなかでの話となりますが不動明王となりこれで3体が揃う事となります。
つまり、左に毘沙門天、中央に大日如来、右に不動明王となります。
しかし、あくまで私の推測の域をでない話でありまして、先日波之上護国寺に住職をたずねこの件をお尋ねしましたところ、真言宗では3テンセットの左側には弘法大師像が無理の無い配置とのことでした。
この点につきましては専門家のご指導を仰ぎたいところです。

次回につづく
Posted by グランパ at 14:46│Comments(0)
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