2009年04月09日

幻の琉球弓ーその5

著者のF氏は現職の課長さんでした。

執務中の来訪にもかかわらず快く会ってくださいました。

周囲は執務中なのでボソボソと来訪の理由をのべ早速識名園の弓場の場所について聞いてみますと、さすが
著者のこと、すぐ書棚から資料を持ち出してくれました。

現在の識名園はその弓場の箇所が隣接する住宅に削られていて少し変形しているよし、なっとくです。

昭和16年の測量図にはしっかりと弓場が有りました!しかも充分に広く、観た瞬間これだ!と心の中で
呟いてしまいました。

あの徐葆光が描いた図は足踏みを狭く取り、左足は的に向かい、右足は的にほぼ直角にかまえ、左手はしっかり押して、
右手は腰より少し上にかまえています。
この射形ですと大きく引き込むことができませんので、せいぜい10メートルもあれば充分です。


幻の琉球弓ーその5


図面での水平距離は18.5メートルとでました。しかもあずちらしき壁もあるではありませんか。
やはり、琉球の高級官僚達は、ゲーム感覚での弓に興じたにありません。

ただただ、残念なのは徐葆光の時代には未だこの識名園は出来ていなかったことです。

では、いったいどこで彼らはこの光景を目にしたのでしょうか?

F氏は引き続き、首里當之蔵の伊江殿内(超高級官僚の邸宅)には弓場が有った事を教えてくださいました。
なるほど、ここなら歴代勅使は招待されていたはずです。

ホームページで調べてみますと1800年代の副勅使李鼎元はこの邸宅を訪れたよし文献
があるようです。
庭園が高く評価され国指定史跡に指定されていて残念ながら現在は立ち入れません。

このような事実から首里城の周囲には国王の兄弟とか高級官僚の邸宅が存在し、屋敷の中に御射場(ういば)
があったようです。


これからもっと調べていくつもりですが、このブログを読んで殿内の御射場について情報をお持ちの方、
また、先祖に弓師がいたなど、琉球のよき時代の弓に関する資料とうが有りましたらお知らせ下さい。


今回のシリーヅは一応終わりにします。





Posted by グランパ at 11:48│Comments(0)
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。