2023年05月12日

通信手段としての烽火   その13

当ブログの3月22日にUPしたその6の時点では座喜味から首里、瀬底島は確認できませんでした。

天気の良い日に再度座喜味城から確認したいと書きましたが、昨日は好天気に恵まれて再度座喜味城

に上りました。青空が展開し梅雨の前の爽やかな天気でしたが幾らか霞んでいて望遠レンズで三脚

無しで何とかとらえることができました。

通信手段としての烽火   その13

一方180度反対側の首里の弁が岳はどうかといいますと、これも厳しいのですが何とか確認出来る

写真かと思います。弁が岳の火立毛は大きな水タンクとマイクロ波通信鉄塔のすぐ傍に位置しますから

多分そこでいいかと思います。

通信手段としての烽火   その13

天候に大きく左右されますが目視出来ることが確認できました。瀬底からは中継地として恩納村の

丘の頂上とか、東海岸へ中継地点が必要ではないかと思いますし、座喜味から首里へも宜野湾の

嘉数高知などで中継した方がより正確に伝わるような気がしますが、残念ながら浦添、宜野湾には

烽火台の文献は見つけることが出来ませんでした。

さて、座喜味を中継点として瀬底島から首里の弁が岳へは可能ということになりますが、それでは

読谷村の何処で烽火を上げたか?というのが問題になります。座喜味城内にはその様な個所は

有りませんし、城内から煙を出すことは落城以外には考えられません。

その件について座喜味城の博物館に尋ねましたら、受付の女性と学芸員の方が親切に教えてくれ

ました。その箇所は座喜味の北西にある字上地の”シラシウガン”がそれで、上地ガイドブックには

遠く海を望むことができ、烽火台として使用されていた場所である。と記されています。

次回はそのシラシウガンを訪ねてみたいものです。

ここまで来て今朝はバナナとコーヒーだけでまともな朝食とってないことに気が付き、都屋漁港に

降りて定置網刺身盛り合わせ定食をいただいて帰りました。










Posted by グランパ at 18:17│Comments(0)
 
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