川沿いに暫く進むと今回の折り返し地点である真玉橋が見えてきた。
この橋の出来た訳を話してみましょう。
その前に薩摩が琉球を攻めて来た時、なぜ那覇に上陸しなかったのでしょう?
その理由から説明しなければなりますまい。
彼らは那覇港ではなく牧港から上陸して首里に攻め入ったのでした。薩摩軍は那覇港には
侵入できない軍事的な秘密を知っていたからなのです。
首里王府は”ひき”と称する特殊部隊を組織していました。彼らを一刻も早く小禄垣花
に集結させるために”真玉道”と称する軍道を整備して、首里城下から豊見城に一刻も早く
抜ける為にこの橋が必要でした。
当時の那覇港は入口は狭くなっいて、北に三重城、南に垣花の要塞を造り、その両方
を結ぶ鉄製の鎖を海底に沈め、敵船来襲の折はいち早く鎖を巻き上げ阻止するという
軍事的な機密がありました。
1522年国王尚真は長い木橋を架けましたが大雨のたびに流され、その後石橋へと改修
されていきました。五連のアーチ橋でその美しさを昭和の初期の画家達は絵の題材とした
ようです。
今ではその石組の一部を再構築して当時をしのぶべく道のかたはらに展示しています。
なお、この橋には悲しい民話も残っています。
“七色ムーティー”
石橋への改修工事は大雨のたびに橋桁が流されうまくいきませんでした。困り果てた役人た
ちの前に、さる神女が現れて”子年生まれの七色の元結をした女を人柱としてたてよ”と告げた。
村中探したが見つからず、なんとその神女自身が子年生まれで七色の元結をしていたことから
人柱としていけにえになった。 あくまでも 伝説であります。
さて、復路は対岸のマングローブ林を引き返します。ここは漫湖公園として整備され桜並木が
今ごろきっと満開です。
ここにはよく来ました自宅からここ折り返しで歩いたものです、直線道は軽くジョギングをしたものです。
あのころは若かった。 子供たちにローラースケートを特訓したのもこの公園でした。
那覇大橋を渡って奥武山公園に入り駐車場を目指す。
やがて自分の車が見えるころ二時間の予定が三時間半もかかってしまった。
小さな旅ではあったが目的達成に何とも言えない達成感と安堵を覚える。
次回に続く。