通信手段としての烽火 その14
読谷村の何処から烽火を上げたか? 読谷村教育委員会 文化振興課 発行の“上地ガイドマップ”にその答えを
見出すことが出来ました。読谷村は字ごとに独立したガイドマップを出しています。すばらしいですね!
カーナビを頼りに現場にたどり着いてみると、昔の面影はなく市街地の中のコンクリートで均した平面的な空間
でした。烽火跡というよりも拝所として利用されてきたようです。
隣接する地主の方の話では祖父の代からここにいるが、ここで烽火を上げた話は聞いてないとのことでした。
ここは小高い丘の八合目ぐらいの位置にあって見晴らしも良くはありませんで、もう少し上の現在鉄塔が
立っているところでしたら、瀬底島も弁が岳も確認できると思いますが、この場所からは無理があります。
私見ですがこの場所は伝説としての烽火台であり実際はその近辺の小高い丘から烽火を上げたであろうと推察
いたします。実際に烽火を上げた記録が何処かに存在すれば大きな証拠となるのですが、今の段階では
探きれていません。
本島を含め各離島の烽火台が 何時、何処で、何本の烽火を上げたか記録をみつけたいものです。