2024年04月11日

軽量アンテナ(50MHz ダイポール)の制作 その4

コイルを組み込んでいつもの浦添市の公園に持ち込んでSWRを測定してみました。



果たしてうまくいっているのかどきどきしながら計測しました。

結果はよ予想した通り満足な結果が得られました。



これで今年のE-スポ伝搬が気軽に運用できるでしょう。  早く来い!!




これで FT-8 もSSB も CW も可能でしょう。

終わります  


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2024年04月11日

軽量アンテナ(50MHz ダイポール)の制作 その3

出来上がったアンテナを中庭に設定してSWRを測ってみました。









中心周波数が53MHzに同調していて好ましくありません。  低い方にあればロッドアンテナを短くする

ことでマッチングが取れますが、これでは不本意なのでアンテナとバランの間に2ターンのコイルをかます

ことにしました。

次回に続く

  


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2024年04月08日

軽量アンテナ(50MHz ダイポール)の制作 その2

バランを組み上げてアンテナ端子につなぎました。



カメラの三脚と延長ポールに取り付けてみました。

カメラの三脚だけでは高さが足りないのでどうしようかと思案に暮れましたが、世間には必要な機材が売られていました。



三脚に取り付けるとこんな感じです。SWRを測定したいところですが朝からの雨で明日以降に延期です。



次回に続く

  


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2024年04月07日

軽量アンテナ(50MHz ダイポール)の制作 その1

お陰様で沖縄本島のPOTAは12か所すべてクリア出来ました。

従来の移動運用スタイルはタイヤベース、に伸縮ポールが主体でしたが、腰痛がひどくなり50MHzの3EL yagiは

難しくなってきたので、小型軽量のダイポールとして、カメラの三脚に装備出来るように設定しました。

夏のE-スポ伝搬に備えて気軽に移動運用ができるように小型軽量化を検討してみました。

幸いにもJA1VUJさんのYouTubeにロッドアンテナによる50MHzのダイポールアンテナが紹介されていましたので、

これを参考にして制作することにしました。









本日バランのキットが届きましたので、明日から組み込みます。



次回へ続く
  


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2024年02月13日

POTA 運用 その2

2月12日 POTA  JA-1788 平和記念公園 からの移動運用は首尾よく出来て無事終了致しました。

21MHz FT-8は事前に告知することができて(ネットがつながりレザリンクがうまく作動しました)

15時から30分程度で14局とつながりました。お礼申し上げます。

段取り八分と申しますが事前にQRVする駐車場も下見していましたので首尾よく行きました。

コンディションと最高の天気に恵まれてFBな運用日でした。帰りには公園の写真を撮る予定でしたが、

あまりにもPOTAが首尾よく終えたので忘れてしまいました。

お詫びに先ほど描いた水彩画をUPします。



  


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2024年02月12日

POTA 運用 その1

POTA: Park On The Air の略称です。アメリカ発祥のアマチュア無線の新しいタイプの遊び方です。

指定された公共の公園から移動運用を楽しむ遊びで沖縄本島に10か所の指定公園があります。

身近な所では奥武山公園、海軍壕公園がありますが、先日この二つは移動運用済ませてしまいました。

昨日は南部の沖縄県平和創造の森公園に出かけて移動運用をしてまいりました。

事前に運用を告知する仕掛けになっていますが、最南端の公園はネットにつながらず”Add Spot"に告知

することができませんでしたが、PM16時30分に何とか12局とQSO出来ました。

本日は平和記念公園での運用をよていしています。

16時前後   21MHz  FT8 CQ POTA JR6AZ/6 





  


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2023年10月02日

それでも水彩画

久々に書き溜めた絵の中から3点を展示会に出品いたします。

私が通っている水彩画教室のグループ展です。

10月10日(火曜日)から一週間パレット久茂地の市民ギャラリーの展示室です。

暇な人も、そうでない人も見に来てください。












  


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2023年09月21日

今、24MHzが面白い!

半世紀も無線三昧の日々を送てきましたが、この24MHz帯の交信は出来ていなかった。

最近賑わっているとの情報に早速ワイヤアンテナを作って屋上に設営したら、何と、一晩で

ヨーロッパ16か国と交信が出来ました。  FT8 は素晴らしい通信手段です。

それならモービルで移動運用もできるに違いないと思いついたのはいいのですが、肝心な

モービルホイップ アンテナがありません。  そこで21MHzのモービルホイップを改造す

る事を思いつき久しぶりに半田ごてを握りました。

21MHzのアンテナはベースローディングの外付けのローディングコイルでしたので、途中

からタップで取出し24MHzに同調させるという試みです。




上から3段目のタップで丁度24.9MHzにマッチングが取れてイメージ通りの結果がえられました。



早速フィールドで試験送信です。





いきなりドイツが呼んできました、そのごスペイン、中國、ロシアなどヨーロッパ諸国と交信して帰路につきました。
  


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2023年06月04日

五稜郭

Google Earth で 北欧を俯瞰して遊んでいましたら、北海道の五稜郭そっくりの構築物にびっくりして

ここにUPすることにしました。

カリーニングラードはリトアニアとラトビアに挟まれてはいる唯一バルト海に面したロシアの

飛び地になります。北欧からヨーロッパに抜ける重要な役割を持っていると思います。

この地の入り江からバルト海に抜ける岬にそっくりさんがいました。

多分もとになった城郭であろうと推察しています。あまりにもそっくりなのでUPしました。



北海道の五稜郭は江戸幕府が築造した城郭で、1855年フランの軍艦”コンスタンティーヌ号”の

副艦長から指導を受けて絵図面をコピーしたとあります。

設計は武田斐三郎とあります。



見れば見るほどそっくりです。


  


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2023年05月21日

通信手段としての烽火 その14

読谷村の何処から烽火を上げたか? 読谷村教育委員会 文化振興課 発行の“上地ガイドマップ”にその答えを

見出すことが出来ました。読谷村は字ごとに独立したガイドマップを出しています。すばらしいですね!

カーナビを頼りに現場にたどり着いてみると、昔の面影はなく市街地の中のコンクリートで均した平面的な空間

でした。烽火跡というよりも拝所として利用されてきたようです。







隣接する地主の方の話では祖父の代からここにいるが、ここで烽火を上げた話は聞いてないとのことでした。

ここは小高い丘の八合目ぐらいの位置にあって見晴らしも良くはありませんで、もう少し上の現在鉄塔が

立っているところでしたら、瀬底島も弁が岳も確認できると思いますが、この場所からは無理があります。

私見ですがこの場所は伝説としての烽火台であり実際はその近辺の小高い丘から烽火を上げたであろうと推察

いたします。実際に烽火を上げた記録が何処かに存在すれば大きな証拠となるのですが、今の段階では

探きれていません。

本島を含め各離島の烽火台が 何時、何処で、何本の烽火を上げたか記録をみつけたいものです。


  


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2023年05月18日

まだ水彩画

座喜味城への入口付近にきになる瓦屋があり以前から一度は絵にしたいと考えていました。

先日座喜味城に調査に行った折立ち寄って写真に収め持ち帰って絵に仕上げました。

現場にイイゼルを持ち込んで書きたかったのですが、何しろ道のど真ん中に居座るわけに

もいかず、自宅にて写真から書き起こすことになりました。写真からですと細かいところを

描きすぎて、臨場感を損ないますが、まあそのつもりで見てやってください。

座喜味、”島まるみの瓦屋”です。座喜味豪農の生家のようですが、戦後村中総出で

この場所に移築したそうです。   よほど景観の優れた個所にあったようで、“島ごと丸

見えの瓦葺の家”の意味です。


  


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2023年05月12日

通信手段としての烽火   その13

当ブログの3月22日にUPしたその6の時点では座喜味から首里、瀬底島は確認できませんでした。

天気の良い日に再度座喜味城から確認したいと書きましたが、昨日は好天気に恵まれて再度座喜味城

に上りました。青空が展開し梅雨の前の爽やかな天気でしたが幾らか霞んでいて望遠レンズで三脚

無しで何とかとらえることができました。



一方180度反対側の首里の弁が岳はどうかといいますと、これも厳しいのですが何とか確認出来る

写真かと思います。弁が岳の火立毛は大きな水タンクとマイクロ波通信鉄塔のすぐ傍に位置しますから

多分そこでいいかと思います。



天候に大きく左右されますが目視出来ることが確認できました。瀬底からは中継地として恩納村の

丘の頂上とか、東海岸へ中継地点が必要ではないかと思いますし、座喜味から首里へも宜野湾の

嘉数高知などで中継した方がより正確に伝わるような気がしますが、残念ながら浦添、宜野湾には

烽火台の文献は見つけることが出来ませんでした。

さて、座喜味を中継点として瀬底島から首里の弁が岳へは可能ということになりますが、それでは

読谷村の何処で烽火を上げたか?というのが問題になります。座喜味城内にはその様な個所は

有りませんし、城内から煙を出すことは落城以外には考えられません。

その件について座喜味城の博物館に尋ねましたら、受付の女性と学芸員の方が親切に教えてくれ

ました。その箇所は座喜味の北西にある字上地の”シラシウガン”がそれで、上地ガイドブックには

遠く海を望むことができ、烽火台として使用されていた場所である。と記されています。

次回はそのシラシウガンを訪ねてみたいものです。

ここまで来て今朝はバナナとコーヒーだけでまともな朝食とってないことに気が付き、都屋漁港に

降りて定置網刺身盛り合わせ定食をいただいて帰りました。







  


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2023年05月03日

またまた水彩画

連休中に久しぶりに水彩画を仕上げました。

ご覧になって感想などをお聞かせください。今後の課題とします。


  


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2023年04月13日

4バンドワイヤダイポールアンテナ

自宅の屋上には7,14,21,28,50MHzのアンテナが有りますが、24,18MHzはアンテナ

がありませんので未だかつて未運用の周波数でした。近く開けるE-スポに備えて移動運用の

ための28.24.21.18MHzの4バンドワイヤダイポールアンテナを試作しました。

いつもの場所でSWRを測定、調整を繰り返して満足な結果が得られましたので報告します。

天候に恵まれ、刈ったばかりのグリーンの環境に感謝するばかりです。

各バンドともSWRが1.0となりました。実際の運用がまちどうしく思われます。










  


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2023年04月12日

また水彩画

今回は古い油絵具のチューブが素材です。古びた絵の具のデコボコに苦心しました。

今回から教室を那覇市の久米公園に隣接する那覇市の施設に移動しました。

明るくて便利な環境で心機一転頑張ります。


  


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2023年04月05日

通信手段としての烽火   その12

の前回 佐手村の火立所を記載しましたが、それらしき場所を Google Earth で探してみました。

間切り図では佐手村と謝敷村の中間地点に記されていますのでそのあたりをさがしましたら、

まさしくそのスポットに”スージヌファナ展望台”が整備されていました。行政区は謝敷に組み

入れられていますが筆者はこここそが、火立所ではないかと勝手に想像しています。

見晴台の展望図を合わせて紹介します。(ネットから転用 まだ行ったことはありません)

伊地にもあったようですが、ここのほうが利便性が優れていたのではないでしょうか。












  


Posted by グランパ at 09:54Comments(0)

2023年04月02日

通信手段としての烽火   その11

図書館通いをしています。国頭村佐手村に新たな火立所の絵図を見つけましたのでUPします。

伊地村の火立所については先の沖縄タイムスの記事で紹介済みですが、この絵図では伊地村

には火立所の表示がありませんで、何故か佐手村の村はずれに表示されています。

伊地村にあったのが佐手村に変更になったか、あるいはその逆かははかり知ることが出来

ませんが、この絵図はかなり正確に記されていますのここにあったと信じましょう。

国頭郡は各字の記録誌が残されていませんで、資料による証明は困難を極めています。

琉球国之図  薩摩藩調製琉球図 間切図




  


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2023年03月30日

久しぶりに水彩画

久しぶりに水彩画をUPします。  トマトの色を表現するのに暫し悩む

何とかそれらしくなってきました。


  


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2023年03月28日

通信手段としての烽火   その10

具志川城はしろではなくて灯台のとしての烽火所として説明してきましたが、では実際に南側からの船舶を発見したら

どうしたのでしょうか?

薩摩藩が支配したころの琉球は南方交易は廃れて、この烽火所は使われなくなってしまって雑草に覆われた構築物

となってしまったのでしょう。ところが明治になるや西洋の船は頻繫に出没するようになりました。ジョン万次郎もこの

近くの浜から上陸しています。烽火台は不要なはずはありません。喜屋武村には番所の近くにヒータテドコロとしての

烽火台が存在しました。3月6日のブログに紹介した薩摩藩調製琉球図 間切図に明確に記載されています。

赤瓦屋根の番屋に3個の烽火台が記されています。

それは現在は何処になるのか調べてきました。県立図書館で 旧喜屋武村現況図 を見つけその場所まで行って

きましたので報告します。





喜屋武村番屋の跡地は多分公園として整備されています。そこに隣接した烽火台は少し小高い丘になっていて、

そこからは南側の太平洋が一望できる場所でした。現在は携帯電話の無線中継局?として鉄塔が立っています。



鉄塔の根元に大きなニービ石が転がっていますが、自然石としては形が整いすぎています。表面は劣化していて

文字の確認はできませんでした。首里の弁が岳の火立毛の碑とよく似ています。もしかするとここに烽火台が

あったことを記した石碑ではないかと思います。糸満市は調べてみてもしそういう石であるならばしっかりと

保存してもらいたいものです。



さて、ここからどうやって首里迄伝達したのでしょうか?

早馬で番所から番所へとリレーする方法、与座岳もしくは首里から識別できる丘に中継地としての烽火台を

設置する。     これからの課題とします。どなたかご存知の方がいらっしゃいましたらご指導下さい。


  


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2023年03月27日

通信手段としての烽火   その9

13世紀~14世紀と言えば琉球図が最も栄えた時代で、南蛮交易で琉球の経済は成り立っていた、

と言っても過言ではないでしょう。  夏の季節風にのり琉球に戻るとき、最初に確認するのは島の

最南端である喜屋武岬です。それが喜屋武岬である確認はどうして識別したのでしょうか?現在

のように灯台のない時代ですから烽火で知らせるしかありません。

火立台は次回説明しますが同じ喜屋武村の番所の近くに存在していました。従ってこの場所は灯台

としての役目のために造られた構築物であると推察します。

一の郭、二の郭は居住としての館ではなく番屋と薪の貯蔵庫として推察するとその規模といい配置

といい納得できる構築物と言えます。

この史跡は南面に大きな穴が開き、上部には”ヒーフチミー(火吹き穴)”海に通じると説明されていま

すが、これでは海底鍾乳洞を連想してしまいます。

実際に壁面の巨大な洞窟を調べてみようと思っていましたが、幸いにも詳しく調査された方がいまして

下記の YouTube で発表しています。

https://www.youtube.com/watch?v=ckCVClmUYvg

私が想像した通りの洞くつで、人工的に造られたもので大きな窯というか炉というか壺屋の登り窯

を連想しました。



下へ降りる道も多分あったはずですが戦争で破壊したのか今は不明です。

吹き出し口は天蓋がありませんので、大雨時や台風時には逆流して洞くつの内部は灰が流されてる

ものとすいさつします、壁には焼けた跡らしいものが見えますので、多分烽火で知らせるための窯

だったのではないかと思っています。専門家も発表していないだけでそれくらいのことは気づいている

ものとおもわれます。




次回は喜屋武村の火立所について記載予定しています。



  


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